こんにちは。快適生活研究家TOIです。
ストレスフリーな生活を追い求めています!
毎日忙しく、何かとストレスを感じることが多い現代社会。皆さんはどんな気持ちで毎日を過ごしていますか?
私はもちろんうまくいかないこともありますが、日々それなりに幸せを感じて生活できています。
しかし、ずっと幸せだった訳ではありません。
むしろその逆。
うまくいかない子育て
業務量が異常で終わりの見えない仕事
顔を会わせると喧嘩ばかりの夫婦関係
いつでも荒れていてくつろげない部屋
やってもやっても終わらない家事
そして「何も完璧にできない中途半端な自分」
に嫌気が差し、出口の見えない真っ暗なトンネルの中を進んでいるような気持ちでした。
どん底まで落ちて毎日が苦しかった私が、どのようにして今のストレスフリーな生活を手に入れたのか記録します。
自分の過去と向き合うことは若干しんどかったりもするんですが、少しでも誰かの助けになればいいな…の気持ちを込めて残しておきます。
「普通からはずれてはいけない」という幼小期からの刷り込み
公務員の父、会社員の母、祖父母、姉と私と弟の3人兄弟。
私が育った環境は田舎ではよくある家族構成でした。
共働きのごく一般的な同居家族。親の夫婦仲もいたって良好で、毎日ケンカはするけれど3つ上の姉とも4つ下の弟とも仲はよかったです。
ただ、病気で入退院を繰り返す祖父と、気難しく嫌みばかりの祖母の世話を一手に引き受け、家事、育児、仕事をこなす母は相当忙しい人でした。
そんな母の口癖は「普通」
少しでも変わったものを欲しがると「普通はそんなもの買わない」。母の気に入らないことを子供がすると「普通はそんなことしない。」お手伝いや勉強なども「普通はやって当たり前。」
自分に厳しい人だったので、子供たちにもとにかく「普通でいろ」「普通からはずれるな」と厳しくあたっていたように思います。
当然成長にしたがって子供は反発しますよね。
高校に入った姉は信じられないくらい親と衝突を繰り返すようになり、家庭内の空気はいつもピリピリしたムードが漂っていました。結構グレてましたね~…。
今思えばこの時期の姉の行動は正解でした。
姉は思春期のエネルギーの力を借りてアイデンティティーを確立していったのですが、親と姉とのすさまじい闘いを見ていた私は、母の「普通でいろ」攻撃にうんざりしながらも表面上おとなしくしていました。ま~その判断がよくなかったんですよね!!
家族が衝突しているのって本当に心臓に悪いんですよ…。
空気を読んでおとなしくしているしかなかった。
なかなか解けない「普通」の呪い
「普通でいなければ」
そう染み付いた考えは大人になって就職・結婚し、子供ができてからも私の根底にありました。
それはもう「呪い」のように。
子供の発達が少しでも育児書通りでなければ「普通じゃない」と焦り
平日休みで土日にいない夫に「こんなの普通の家族ではない」とワンオペの怒りをぶつけ
家事と育児と仕事を苦もなく楽しそうにこなす(そう見える)保育園のママたちと自分を比べては「ちゃんとできない自分は普通じゃないダメな人間なんだ」と落ち込んでいました。
家事も、育児も、仕事も完璧にできてはじめて「普通」
そんな考えに縛られ、余裕をなくした私は当時プライベートで笑ったり楽しんだりできなくなっていました。
家庭の空気は次第に重苦しくなり、私にも夫にも「離婚」が脳裏にちらつき始めた頃転機が訪れます。
転勤族の夫に他県に辞令がでたのです。
退職して自分を見つめ直す時間ができた
離婚か、帯同か。
当時の私たちには2つに1つでした。
持ち家もなかったので単身赴任という考えはありませんでした。
また長女もですが、私の仕事復帰に伴って生後半年から一日12時間以上保育園で生活していた次女に対して後ろめたい気持ちと成長を一番近くで見てこられなかった後悔があり、再構築の最後のチャンスのつもりで退職して一家で新天地に越してきました。
幼い子供たちを1日12時間も保育園に預け帰宅したら死んだように眠り、休日はワンオペ育児でぐったりするようなギリギリの生活を送っていたので、日々の生活をこなすことで精一杯でしたが
一旦退職して時間の余裕ができたことにより自分のことを振りかえる余裕が生まれました。
「普通ってなに?」自分は自分だと気がついた私
ゆっくり考える時間を持ててはじめて、今までの生活は自分にとっては忙しすぎたんだということに気がつきました。
母は家事も育児も仕事もこなしていた。回りのママもすべて器用に(しかも輝く笑顔で)やりとげていた。
だからそれが「あるべき姿」と信じて疑わなかったけど、専業主婦生活のなかで自分のキャパシティは他人のそれとはちがうと深く感じたのです。
そう、私のキャパはマッチ箱。
「普通にはなれなくても、自分のできることだけを一生懸命にしていた方が自分も家族も笑顔で毎日が楽しい。」
そう考えたとき、はじめて「普通でいることってそんなに大切?ってか普通って何?」という疑問がわいてきました。
今までの価値観が音をたてて崩れ落ちるような感覚でした。
「普通」であることよりも「自分らしく」いることの方がよっぽど人生を豊かにしてくれる。
(母の言う)普通に縛られていた私だからこそ身に染みて感じたことです。
他の人と同じようにできなくても、それは自分が劣っているということにはなりません。
育ってきた環境も、個人のキャパシティも、好みも、得手不得手も、感じ方も、一人ひとり違って当然であり、優劣がつけられるものではありません。
自分にあった生活を見つけていけば、キャパがマッチ箱の私でも幸せに暮らしていけると確信し、試行錯誤の日々が始まりました。
自分のことを「正しく理解」しよう
自分に合った生活をするには「自分のこと」を深く掘り下げて考える必要があります。
大切にするものと手放すもの
今の生活にストレスを感じているなら、具体的に何が自分にとってのストレスなのかを意識しなければ、解放されることはありません。
他人が楽々こなしている(ように見える)ことでもできない自分が悪いのではありません。
自分に合っていないことが原因だということが意外と多いのではないでしょうか。
ストレスの原因がわかったら、できるだけ生活から手放すことをおすすめします。
私が手放したストレス源をいくつか紹介します。
・フルタイムワーク ・頻繁すぎるママ友付き合い ・週末必ず子供を遊びにつれていくこと ・一汁三菜 ・片付け ・早起き
とはいっても、嫌だと感じることをすべてやめたら生活が成り立たない場合もありますよね。
私も家事や育児まですべて放棄するわけにはいかないので、自分にとって苦にならないレベルまで落としてみることにしました。
先程やめたと紹介したことも、厳密に言えば「楽にできるよう工夫した」とも言えます。
やめたこと | 実際にした工夫 |
フルタイムワーク | パートタイムにシフトチェンジ |
ママ友付き合い | 本当に気が合う人とのみの付き合い 子供ありきの関係と割りきる 何でもかんでも誘いにのらない |
週末の外出 | 子供と親の希望は交互にして外出先を決める 近所を散歩で十分なときもある 子供にも疲れているときはきちんと伝える (何でも子供中心じゃなくても大丈夫) |
一汁三菜 | 一汁二菜でも十分 なんなら市販のスープやインスタント味噌汁もあり 丼ものやカレーが頻繁に登場 疲れている日のためにレトルトや冷凍食品常備 |
片付け | とにかく物を減らした 片付きやすい仕組みをつくった |
早起き | 朝御飯は簡単なもので固定 できる準備はすべて夜のうちに 洗濯も夜、部屋干し |
もとがズボラで頑張りすぎるとストレスがたまって爆発することが目に見えているので、極力楽できるように「頑張りすぎない」生活にシフトしたところ、ストレスが大きく減り、上機嫌でいられることが増えました。
自分の得意不得意を考えてみる
人には得意なことと苦手なことがあります。
日本の教育はどうも「苦手をなくす」ということにばかり重点を置いているような気がしますが、苦手なことがあってもいいじゃない、と最近の私は思うのです。
どうしても苦手なことを必ずしも克服する必要はなく、避けて通れる道があるならば避けて通ってもいいと思います。
家事が苦手ならロボット掃除機や乾燥機付き洗濯機や食洗機を取り入れるのは大正解だと思います(これはもう世界の常識ですよね)
仕事が合わないと感じるなら積極的に転職活動をしたり、働き方をかえるのもひとつの手でしょう。
子育てを負担に感じるなら頼れるところはすべて頼って「母ではない自分に戻れる時間」を充実させた方がよいです。
とにかく他人の当たり前は自分の当たり前ではないことをきちんと認識すること。
自分の気持ちや感じ方にきちんと寄り添うこと。
一見当たり前のようですが、情報が溢れている世の中では日常生活を送っているだけで他人の考えやペースに支配されがちです。
得意なことはどんどんやって、どうしても苦手なことはできるだけしなくてすむ工夫をしていると、自分の世界が明るく見えてきますw
そして不思議なことに、ストレスが減ると
・子供がかわいくみえる
・夫に感謝の気持ちが持てる
・苦手なことにも挑戦しようという気持ちが少~しわいてくる
って感じなんですよ。
ストレスよくないね!
自分らしくを大切にしたら起こった意外な変化
「普通じゃなくていい」「自分は自分、他人は他人」と思えるようになってから、意外な面でも変化がありました。
子育てにも好影響
子供も一人ひとり違って当たり前、自分らしくいられることが子供を一番幸せにする。
そう思えるようになってから、子供の個性にを大切にできるようになり、どんなに小さくても子供には子供の価値観や考え方があると尊重できるようになりました。
昔は子供と意見が食い違ったとき、頭ごなしにしかったり、子供の言い分を否定して言いくるめるような言い方になってしまっていました。怒鳴って言うことを聞かせることもありました。
今は(子が成長して話がしっかりできるようになってきたこともありますが)意見がぶつかったときはお互いの意見を伝えあい、お互いが納得できるような落としどころを探せるようになりました。
「自分の考えを受け止めてくれる」子供にとってそんな親でありたいと思っています。
まあ今もね、正直
「いい加減にしろー!!」
ってキレたりしますけどね。
それはそれw
自分の親との関係も良好に
これは自分でも驚いたのですが、「普通じゃなくても大丈夫」と思えるようになった頃から、自分の親(特に母親)との関係性もよくなりました。
関係性がよくなったというよりは、母親に対して感じていた嫌な気持ちがスーっと軽くなるのを感じたとでもいいましょうか…。
小さな頃から親の顔色をうかがって、親の価値観に縛られてきた私にとって母親は「一番認めてほしいけどどうしようもなく嫌いな人」という妙な位置付けでした。
思春期をとうに過ぎてもちょっとしたことを言われるだけでムキになって反発し、そのくせ母親に認められたくて「普通に生活すること」に固執する。
そんな歪んだ関係性でしたが(母がどう思っていたかはよくわかりません。)いつからか「私が私であるように、母も母なんだ。」と気がつきました。
私の個性をなかなか認めてくれなかったり世間体を異常に気にして「普通であること」を子供たちに強要したりはしていたけど、愛情がなかった訳ではない。
母は彼女なりの価値観をもってして「普通でいること」で私たちがきっと幸せになれると信じていたからこそ突き進んできた部分もあるということに思い至ったのです。
「一人一人違って当然」という気持ちが持てるようになってから、自分の子供とも、そして母とも「依存関係」から脱却できて、気持ちの上では本当に楽になりました。
まとめ
10人いれば10通りの生活様式、好み、考え方があり、誰ひとりとして自分と同じ人間はいません。
世の中は情報に溢れていますが、どれが自分に合っているのか、判断できるのはこの世でたった一人「自分」だけです。
どんなことが得意でどんなことが苦手なのか、生活のなかで何を大切にしたいのか。他の誰でもなく自分を理解し、自分が暮らしやすいよう生活を整えることが本当のストレスフリーへの手がかりになります。
↑親子関係を見つめ直す時に衝撃を受けた一冊です!
\思い出管理もストレスフリーに/
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